【8年間の全て】柔道あるあるブロガーのこれまでの柔道人生についてパート2
皆さんこんにちは。
柔道好きサラリーマンのバカうけ(@bakauke_judo) です。
前回に引き続き、私バカうけの柔道人生についてお話ししようと思います。
今回は中学生編です。
まだ前回の記事を見てない方はこちらから↓
ndphantom0714142.hatenablog.com
そんなこんなで地元の中学校に進学した僕は悩むことなく柔道部に入りました。
その学校の柔道部は、地区大会では結構いい成績を残すけど県大会ではあんまり、ぐらいの強さでした。
正直そこまでガチ勢になろうと考えてなかった僕にとってはちょうどいい感じのところでした。
僕が小学生の時に行っていた柔道クラブはそこそこ強いところだったので、
中学校では結構コーチ陣から期待されてました。
そんな僕自身もまんざらではない感じで、謙遜しつつも内心調子に乗っていました。(笑)
練習自体はまじめにやっていましたが、その頃の僕は何かと理由をつけてサボりがちでした。
特に土日の練習を何度サボったことか。笑
そんな感じだったので秋になっても団体戦のメンバーに入れてもらえず、周りからの評価もあんまり良くなかったです。
冬休みなんか一度も練習に行かなかったので。(笑)
そうこうしているうちに学年が一つ上がって、一個上の先輩たちが最後の大会向けて追い込みを始めました。
ここらへんから「あ、俺もしっかりしなきゃ」と思い始め、練習にも休まず行くようになりました。
そして先輩が引退して自分たちの代になり、なんと僕がキャプテンになりました。
もう1人同じくらいの強さのやつがいたのですがちょうど怪我をしていて、消去法で僕になってしまうという(笑)
キャプテンになったからには頑張らないといけないと思い、今までにないくらい真面目に練習しました。
すると団体戦では地区大会3位、個人戦では県大会ベスト4ぐらいの成績を残せるようになりました。
ちなみですが、この時の僕の心の声は「早く引退したい」というものでした。
なぜならテスト期間も関係なしにみっちり練習があるのは当時の僕からするとかなりのストレスだったからです。
でもなんとか夏まで頑張りきって、最後の県大会を迎えました。
結果は団体戦一回戦負け、個人ベスト4。
まぁ可もなく不可もなくという結果に終わりました。
その後地区対抗の団体戦が、県の主催でありまして、それではちゃっかり優勝することができました。
地味に嬉しかったです。(笑)
それが結局引退試合となり、終わってみれば良い終わり方が出来たと思います。
そんな感じで僕の中学柔道は終わりました。
上にも書いたとおりずっと引退したかったので、終わった時はかなりの解放感でした。(笑)
自分で言うのもアレですが勉強はそこそこ出来たので、
「高校は普通に勉強で進学しよう」
とずっと前から考えていました。
そうして受験勉強に励んでいたのですが、やっぱり柔道をやらない期間が続くと柔道がやりたくなってくるものです。
そんなある日親に、
「俺やっぱり高校でも柔道続けるかも」
と告げました。親も快く賛成してくれました。
そしてちょうどその日に中学の時のコーチが家に来たのでノリで柔道続ける的なことを言ったら、
「そうか!じゃあ今すぐ高校の先生に言っておくから!」
と言われ、そこで県で一番の柔道強豪校への進学が決まりました。その先生はその高校出身だったのです。
もちろん知ってはいましたが、そんなに深く考えていませんでした。
「県で一番のところに行くってことは俺も県で一番になれるってことか...」
そんな感じで甘く考えていた僕に高校柔道はしっかりと現実を見せてくれます(笑)
というのが僕の中学生の柔道生活の話です。
次回はたいして強くもない僕が強豪校でもがく様子をお届けしていきますよ~!(笑)
ではまた次回の記事でお待ちしております。
今回もご閲覧ありがとうございました〜!
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